とあるロー生の雑記帳

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【絵画】DIC川村記念美術館コレクションの雑感

今日は千葉県佐倉市にあるDIC川村記念美術館に行ってきました。

展覧会としてはヴォルス展を見てきたのですが、そちらは一先ず置いておいて、美術館所蔵作品の展示について、気になった作品を中心に覚書的に記しておこうと思います。

DIC川村記念美術館のコレクションの展示は、年に数回入れ替えがなされているようです。

以下で私が言及する作品も、常に展示されているわけではないと思われるので、実際に見に行ってみようと思われた方は、DIC川村記念美術館のホームページで「今見られるコレクション」を確認されてから行くと良いと思います。

http://kawamura-museum.dic.co.jp/collection/current.html

なお、DIC川村記念美術館は館内撮影禁止となっています。以下に載せる絵画の画像は、図録やポストカードに掲載されているものを撮影したものです。そのため、撮影に伴う光の反射や、影、画面の歪みなどが生じています。あくまでも作品を同定するための画像として載せているだけですので、その点はご了承ください。

 

マリー・ローランサン《ピクニック》(1932−33頃)

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太めの筆のタッチと、パステルカラーの色使いがうまく調和していて、可愛い。どこかお伽話の世界のようで、ほわわんとした夢を見ているような気分になる。ピクニックという作品名だが、少女たちは、何か遊ぶ物や食べる物を持ってきているわけではないようだ。画面右の青い服の少女は、白馬に乗ってきている。良いとこのお嬢様の集まりなのだろうか。場所は、画面左上に橋が見えることからすると、川の土手のようなところだろう。この少女たちは、これから何を語り合うのだろう。

以下は完全に偏見。お伽話のような世界で可愛いと書いたが、大抵こういった世界観を好む人は、何かしら現実に闇を抱えているものだと思う。マイメロ好きで部屋がピンクピンクしている女の子は、メンタルが以下略と相場が決まっている(そうでない人がいたらごめんなさい)。この作品に描かれている少女たちの会話では、彼女たちのどす黒い部分が吹き出さないことを祈るばかりである。(そのような穿った見方をすると、少女たちの黒く塗り潰された目は、どこか不気味な雰囲気を感じさせる気がしないでもない。)

 

マルク・シャガール《赤い太陽》(1949)

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マルク・シャガールダヴィデ王の夢》(1966)

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シャガールの絵は好きなので、2作品も目にすることができて嬉しかった。西洋絵画というと理想的な美だとかが追究される大人の世界という印象があるが、シャガールの作品は、どこか子どもの頃に見ていた夢を想起させるようで、まだ大人になりきれていない大人に居場所を与えてくれる気がする。シャガールの絵にはシャガール特有のモチーフがあるが(例えば山羊など)、それがどういった意味を持つのかを調べてみたいと思った。

 

ジョゼフ・アルバース《正方形賛歌のための習作:「グローイング」》(1968)

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こういう絵を見ていると、鑑賞者として画家に挑戦を仕掛けられているような気になる。何か具象的なものが描かれているわけではなく、ただ正方形が色と大きさを変えて入れ子状に描かれているだけ。これを見て、何をどう感じれば良いのだろうか?正方形が生む構図の安定を感じる一方で、外側2つのグレーの正方形と内側の黄緑色の正方形は色彩的に反発している。また、外側の正方形から内側の正方形に向かうに従って色の明るさが上がっていくため、外側の正方形よりも内側の正方形が手前に配置されているように見える。内側の正方形が手前に出っ張っていて、外側の正方形は奥にあるような感じ。たった3つの正方形だけで、画面の中に安定した奥行きを作り出すことができる、そのことを画家は示したかったのだろうか。

以上は私の行き当たりばったりの推察である。たぶん画家はもっと哲学的で難しいことを考えているのだろう。いずれにしろ、絵から具体的な何かを読み取るのではなく、ただ絵がそこにあること、それ自体を純粋に知覚しなければならない類の絵画は、それを目の前にして何を考えれば良いのか、あるいはそもそも考えて良いものなのか、迷うところである。

 

イヴ・クライン《青のモノクローム(IKB130)》(1960)

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 クライン自身は青のモノクローム絵画をいくつも製作しているようである。今回展示されていたのは、小さめの作品だった。僕自身、インターナショナル・クライン・ブルー(青のモノクローム作品に使われる塗料の色)は好きで、じっと見ていると、どこか別の世界に引き込まれるような気がする。画像では分からないが、塗料が塗られている基盤である石膏は表面が微妙に凸凹していて、ごく表面的に立体感が生まれている。できればもっと大きいタイプのモノクローム作品を目の前にして、気が済むまでボーっと眺めて過ごしたい。

 

マーク・ロスコシーグラム壁画》(1958,59)

ロスコ・ルームに展示されている7枚のロスコ作品。ロスコ・ルームは照明がやや暗めに設定されていて、絵がぼんやりと浮かび上がっているように見える。絵には四角形のような形状が描かれていて、扉のようなものを連想させる。さながら、赤黒い冥界へと通じているかのようである。ロスコ・ルームを体感するためだけでも、DIC川村記念美術館に行く価値があると思う。

 

もっといい加減に一言メモ程度で書く予定だったのに、思ったよりも長くなってしまいました。

今回はこの辺で終わりにします。