とある東大法学部生(留年)の日常

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【雑記】安倍首相と枝野代表の演説比較

安倍首相の演説( 2017.10.18@池袋)と、枝野立憲民主党代表の演説(2017.10.19@秋葉原)の手法が対照的で面白かったので、両者を見て気づいたことをまとめておきます。

なお、本記事を書いている現在、それぞれの演説は以下のURL先のページで視聴できます。

安倍演説:https://youtu.be/KxxseEZoQqY

枝野演説:https://youtu.be/IPoa6fsMLwA

 

【安倍演説】

選挙カーの屋根上に乗り、聴衆より数メートル高い位置からマイクを用いて演説。内容としては、始め約1/3が北朝鮮問題について、残りは安倍政権の経済政策の実績についての話。

北朝鮮問題の話では、もはや北朝鮮は信頼に足る対話相手ではないこと、拉致被害者救出のタイムリミットが迫りつつあること等を述べる。そのうえで、アメリカを始めとした国際社会との強調が必要であること、また安倍首相自身が、トランプ大統領を始めとして各国首脳との関係強化に努めてきたことを主張した。

続く経済政策の話では、具体的な数字を示しながら、民主党政権時代と比べて、安倍政権下でいかに経済が成長し安定したかを主張した。具体的には、GDPが拡大したこと、株価が上昇したこと、中小企業の倒産率が低下したこと、など。

演説は終始強い口調で行われ、また立て板に水のごとく、安倍首相が話し続ける時間が大部分を占めた。

 

【枝野演説】

秋葉原駅前の広場に、高さ50cmほどと思われる演説台を仮設し、その上に立ってマイクを用いて演説。枝野代表からすぐの距離で聴衆が取り巻いており、聴衆に紛れて演説を行なっているようだった。

内容としては、具体的な政治問題のテーマが設定されていたわけではないが、基本的には安倍政治に疑問を投げかけるもの。アベノミクスの恩恵を受けない人の立場や、安倍首相による政権運営に疑問を持つ人の立場から、安倍政治(あるいはより広く自民党政治)を「強い者をより強くする」「競争を煽る」「自己責任を強いる」「上からの政治」といった表現で批判。若者の車離れ、非正規雇用サービス残業、介護問題、保育所の問題など、具体的な問題を挙げながら、それらが従来型の政治運営によって生み出された問題であることを示した。終始、社会的弱者の目線から、今の政治のどこに問題があり、新しい政治はどうあるべきなのかを示していくものであった。特筆すべきは、政治の本来のあるべき姿を説く中で、立憲主義、民主主義、情報公開といった基本的な政治理念の説明を、学識のない人にも理解できるよう具体的な問題の指摘とともに織り込んでいることであった。具体的には、安倍内閣による集団的自衛権の行使容認の閣議決定を指摘して立憲主義の重要性を説き、安保法制をめぐる自民党強行採決を指摘して民主主義のあるべき姿を説き、自衛隊の日報問題を指摘して情報公開の大切さを説く。こうした基本的な理念が現在の日本政治においては損なわれてしまっていることを主張する。

演説の終盤では、立憲民主党が「本当の民主主義」を実現し、「新しい政治」をもたらすことを述べる。従来型の「上からの政治」ではなく、国民とともに歩んでいく政治。そして、演説の最後で、枝野代表が聴衆に向けて「一緒に戦いましょう」と呼びかけていたのが印象的だった。

枝野演説は全体として、聴衆に向けて呼びかけるような口調で行われ、また常に聴衆からのレスポンスを受けながら行われていた。

 

【感想】

安倍首相の演説は、形式、内容ともに従来通りの演説だった。演説に用いられる言葉遣い、経済政策の成果としての数字の引用の仕方などは、いかにも永田町で話される言葉であり、私自身は、いかにも勉強のできる側近がスピーチ原稿を書いたかのような印象を受けた。安倍政権の強権的な姿勢とその実績について伝わってくるものはあるが、結局のところ政権にとって都合の良い言葉と数字を並べ立てたに過ぎないのではないかという疑念を免れない。様々な数字を持ち出して、アベノミクスで景気は良くなりましたよと繰り返すが、その言葉は、生活の向上を実感できない国民には向けられていない。対して枝野代表の演説は、聴衆に語りかけ、聴衆のレスポンスを受けながら、聴衆との相互作用の中で醸成されていくようであった。内容としても、いち国民の目線から「まっとうな政治」を語るものであり、多くの人々に理解され同意されるものであると思う。

この点については、安倍演説は、(枝野代表の言うような)「古い政治」「上からの政治」を体現していると思う。対して枝野演説は、「国民とともに歩む政治」を体現している。中間層の没落が現実のものとなり、格差が拡大していく中で、枝野演説は「持たざる者」に向けて語りかける。このことに立憲民主党の存在意義を認めずにはいられないだろう。

しかし、一方で、枝野演説は一般論や抽象論に終始しており、具体性に欠けるとの批判も可能である。経済的弱者の立場を守るために、消費税の直近の増税に反対する。では社会保障費が増大する中で、その財源はどうするのか。あるいは、アベノミクスは富める者をより富ませただけだった。では、立憲民主党の経済政策は、どのようにして持たざる者を潤わせるのか。少なくとも、そういった具体的な政策のことは、演説では触れられていない。もっとも、具体的な政策について触れていないのは安倍演説も同様であり、また、そもそも選挙にあたって具体的な政策論議を精緻なやり方で行っている政党は(控えめに言って)決して多くないと思われるので、この点については立憲民主党だけの問題ではないだろう。

また、立憲主義や民主主義の重要性を説くくだりも、それらはいかにも当たり前のことであり、そういった理念を持ち出して説法を行うだけでは、現実の問題は何も解決されない。反安倍リベラル派の票をかき集めるために、耳通りの良く懐の広い、最大公約数的な政権批判の用語を振りかざし、一種のポピュリズム的な手法を用いたという見方も、それは穿った見方かもしれないが、できないことはない。確かに、民主主義や立憲主義といった基本理念をいま再び確認する意義は大いにあるだろうが、他方で、そうした理念が具体的政策の手薄さを覆い隠すための目くらましとして使われていないか、有権者は注意しなければならないだろう。

長くなったのでこれで終わりにしますね。うだうだと書きましたが、皆さん投票に行きましょう。以上。